ブックタイトルあしょろって 6

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あしょろって 6

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あしょろって 6

開校いのちの学校生き方・死に方を考える校長池田 千鶴氏(医療法人三意会理事長)老健あづまになって高齢者に対する医療の考え方が変わりました。2012 年に日本老年医学会が本人のQOLが改善しないと分かった場合には自分はこう生きて、こう死にたいということを考えるがんになったらどこで暮らしたいかと伺うと認知症や寝たきりなどの高齢者に病院時代に良かれと思っていた医療が必ずしも良いことばかりではないと言う疑問を大きくしました。胃ろうをしないで食べられるようになったということが新聞で取り上げられ、胃ろうの是非の議論が進んできています。私は胃ろうの是非を考える前に、どう生きるか、どう死ぬかということをちゃんと考えることが大事だと思います。胃ろうイコール積極的に食べさせない、医療の手抜きだと決めつけるのは、どうなのでしょうか。栄養水分補給を差し控えても良いと言うガイドラインを出しました。それまでは胃ろうをすれば延命できる人に、それをしなければ不作為の死ということで罪に問われるというのが現状の法律でした。医者は最善のことをするというモラルに生きてきたけれども、差し控えを良しとするということが、ガイドラインで示されて、胃ろうの使い方が変わってきます。例えば食事が摂れないだけの認知症で、意識が無くなって寝たきりになったらそこで胃ろうを差し控えるという選択も出来るのです。自分は胃ろうはイヤって言う方が多いのですが、ご主人だったら、奥さんだったらどうすると聞くと、すると答えます。その矛盾はどこから来るのでしょうか?きっかけを作りたくて「いのちの学校」を開きました。「いのちの遺言書」を作りますが、それが私の中ではゴールではないのです。それを通じて生き方死に方を考え、家族と話して考える。そうすると、突然お母さんが脳卒中で倒れて意識がない状態になって、延命するかどうかといった時に家族はそこで必要以上悩まなくて済むと思います。仮に延命しないで亡くなったとしても、お母さんは自分の思いを全うしたことになりますよね。構想期間2年を経てこの「いのちの学校」にたどり着きました。3回全部参加していただいた方に、私たちが作ったオリジナルの「命の遺言書」を作っていただきたいと思っています。是非多くの方々に入学していただきたいと思っています。家族に迷惑をかけたくないから病院や施設に入るとおっしゃいます。でも1~2か月の余命なら家族も頑張りたいと思うのではないでしょうか。そういう在宅看取りも含めて、いのちの終わり方の選択肢をもう少し広げて欲しいのです。お父さんが誰にも相談せずに書いた事前指示書の通りにしたら、亡くなった時に家族には後悔が残るような気がします。お父さんが家族に迷惑かけたくないという理由で何もしないで死ぬと言ったら、俺はそんなに頼りにされてない息子だったのかと思いませんか。だから知識を増やして家族ときちんとコミュニケーションすることはすごく大事だと思います。日本尊厳死協会の「事前指示書」とは少し違いますが、自分がどう生きてどう命を全うするかを家族ときちっと話して書き残しておくと良いと考えています。10